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「いったいこの国をどこへもってゆくのや」と言った西園寺公望さんの受難の巻

天皇陛下に謝罪を要求する韓国の三権の長のムンヒサン氏ですが

発言を取り下げても国内で叩かれますし、無かった事にも出来ないというまさに悲惨な光景を醸し出しているわけですが

その結果、日韓関係が、不穏な空気になって来ましたね

国家間の関係が険悪になるのは、実は非常に不自然なのです


日本にもそんな時代があったんですよね

歴史を振り返ってみて、日本は本当に日露戦争に勝ったんでしょうか?


明治時代、日本は9人の元老と言われる人物が、仕切っていました

元老は事実上、摂家に次ぐ日本の政治の最高権力者です

元老は薩摩から黒田清隆、松方正義、西郷従道、大山巌の4名、長州から伊藤博文、山縣有朋、井上馨、桂太郎の4名

8名が薩長、唯一、西園寺公望のみが公家の出でした

西園寺家は藤原北家閑院流です

要するに、中級武士、下級武士、足軽、農民の出の8名と1名の公家出身者で元老は組織されていました

この9人によって、日英同盟、日露戦争、韓国併合へと動きましたよね

日露戦争では、アメリカのハリマンが満州鉄道の共同利権を狙っていたので

資金面での協力者、クーン・ローブ商会のジェイコブ・シフが資金を提供し

ポーツマス条約ではアメリカが仲介に入って無理やり日本を勝たせたのが真相のようです

結果、日英同盟があり、アメリカ(ハリマン側)は満州共同利権を取れませんでしたが

賠償金が取れなかった日本はシフに戦費の金利を払い続ける借金状態になります

軍事費は国家予算一年分の約4倍にあたる20億円

この戦費は国民に重く圧し掛かり、日比谷焼打事件、アメリカ大使館襲撃などの暴動が起りました

そして、アメリカ世論はすっかり反日となり黄色人種差別に発展したのです


>日比谷焼打事件、アメリカ大使館襲撃などの暴動

今なら、これがすでに、偽旗事件だったのだろうと想像出来ますよね

日米関係が悪化するように仕組まれたのだと思います


その後、ロシア革命が1917年、そのまま1918年から第一次世界大戦突入します

日露戦争で大儲けしたシフは、ロシア革命の資金をレーニンに用立たわけです

第一次世界大戦ではロシア以外のほとんどの国にも巨額の融資をしています

その裏で、ロシアにもロックフェラーを通して資金提供します

シフに話を持ちかけたのはロスチャイルドで、その背後にはヘッセンでしょう

日本を戦争に仕向けさせるために日英同盟を組ませ高橋是清にロンドンまで行かせて公債を売りに行かせ、必要な額の半分だけ買ってあげて、半分はシフに買わせたわけです

要するに投資ですよ

ユダヤとか偽ユダヤが、世界を支配しているなんて、実は嘘なんですよね


大日本帝國憲法が8人の薩長出身の中下級武士、農民出身者で固められました

その担がれた神輿の人達が、明治時代を動かして、ヘッセンの思う通りの現代の日本を作ってしまったのです

西園寺公望氏とは、何者だったのでしょう?

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西園寺公望 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/西園寺公望

西園寺 公望(さいおんじ きんもち、嘉永2年10月23日(1849年12月7日)[注釈 1] - 昭和15年(1940年)11月24日)は、日本の公家、政治家、教育者。位階・勲等・爵位は従一位大勲位公爵。雅号は陶庵、不読、竹軒[注釈 2]。

戊辰戦争において官軍の方面軍総督を務め、フランス留学後には伊藤博文の腹心となった。第2次伊藤内閣にて文部大臣として初入閣し外務大臣を兼任、第3次伊藤内閣でも文部大臣として入閣した。第4次伊藤内閣では班列として入閣し、内閣総理大臣の伊藤博文の病気療養中は内閣総理大臣臨時代理を務め、のちに伊藤が単独辞任すると内閣総理大臣臨時兼任を務めた。

明治33年には(1906年)伊藤の後を継いで立憲政友会総裁に就任し、明治39年(1906年)内閣総理大臣に任じられ、第1次西園寺内閣、第2次西園寺内閣を組閣した。この時代は西園寺と桂太郎が交互に政権を担当したことから「桂園時代」と称された。

その後は首相選定に参画するようになり、大正5年(1916年)に正式な元老となった[1]。大正13年(1924年)に松方正義が死去した後は、「最後の元老」として大正天皇、昭和天皇を輔弼、実質的な首相選定者として政界に大きな影響を与えた。


清華家の一つ徳大寺家当主徳大寺公純と妻の末弘斐子の次男として誕生。2歳の時に、同族で清華家の西園寺師季(もろすえ)の養子となり、その年の7月に師季が死亡したため、西園寺家の家督を相続。

孝明天皇が設置した学習院で学び、11歳の時からは御所に出仕し、祐宮(後の明治天皇)の近習となった。

明治維新時には自ら鉄砲を撃ち、銃弾の飛び交う最前線にいたという。家塾として『立命館』を創始。官費でフランスに留学。

当時フランスはプロイセンとの普仏戦争に敗北し、世界初の社会主義、共産主義の運動が巻き起こっていました。これを目にした西園寺氏は、「賊」「恥知らずの人々が愚民を煽動した」と極めて否定的で、フランス政府によるその鎮圧を、「愉快」と評しています。

ソルボンヌ大学で政治学者のエミール・アコラスなどに学び、同大学初の日本人学士となっています。

帰国後、新聞社社長職を経て、伊藤博文が国会開催に向けて作った参事院議官補になり、フランス、オーストリア、ドイツ、ベルギー公使等をこなし、伊藤博文にかわって実質的な総裁の役目をこなす。

このとき、日本中心主義という虚栄を否定し、ヨーロッパのような男女平等、自由の精神を推奨。

大日本帝国憲法下初代、第1次松方内閣を除き、それ以降の第2次伊藤内閣、第2次松方内閣、第3次伊藤内閣に入閣。

第1次大隈内閣、第2次山縣内閣では病気で入閣せず、その後の第4次伊藤内閣に入閣、第1次桂内閣では日露戦争後の大混乱で次の首相として密約があり、以降、自らが率いる西園寺内閣と桂内閣が1903年~1913年まで交互に組閣。

この時期を桂園時代(けいえんじだい)と呼ぶ。

桂園時代は、日英同盟の締結から日露戦争の勝利、韓国併合など日本の国際的地位が著しく向上し、陸奥宗光や小村寿太郎らの努力によって条約改正を達成し、いっぽうで重工業の発展のめざましい時期にあった。

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昭和天皇の結婚にも大きく影響力を持っていました

宮中某重大事件という裕仁親王=のちの昭和天皇の妃に内定していた良子女王(のちの香淳皇后)について、家系に色盲の遺伝があるとして、元老・山縣有朋らが女王及び同宮家に婚約辞退を迫った事件がありました。

結果的に貞明皇后や、良子女王の父・久邇宮邦彦王、元老の松方正義や西園寺公望は婚約の破棄に反対を表明し、裕仁も結婚の意思を表明しました。

その後も政界と皇室をつなぐ西園寺氏は高橋是清、山本権兵衛、加藤高明らを首相に推薦。

そうこうしているうちに西園寺氏以外の元老が老齢となり、次々と死去して、西園寺氏が唯一の元老となります


昭和5年(1930年)にロンドン海軍軍縮会議が開催され、軍縮は批准されましたが、これに不満を持つ海軍内の強硬派や枢密院の宮中グループの西園寺に対する不満を募らせました

満州事変が起き、陸軍が勝手に動き、満州事変が拡大します

軍部は満州国を建設して事変の権益を確保し続けようとしましたが、西園寺は満州国承認を認めてはならないと犬養首相らに働きかけていました。

しかし、昭和7年(1932年)5月15日、犬養首相は五・一五事件によって暗殺されてしまいます。

国粋派からの憎悪を買うようになっていた西園寺は青年将校によるクーデターの対象にも加えられ、新聞には西園寺に対するテロ未遂事件が取り上げられるようになります

二・二六事件事件においても、決起将校の一部が西園寺襲撃を計画していたそうです

内閣構成が次々と変わり、議会は大荒れしますが、やっと第1次近衛内閣を成立させました

そんな中、盧溝橋事件が発生します

(これも偽旗でしょうね)

1935年7月25日から開会された第七回コミンテルン大会では西洋においてはドイツ、東洋においては日本を目標とすることが宣言され

同時に世界的に人民戦線を結成するという決議を行い、特に中国においては抗日戦線が重要であると主張

コミンテルン支部である中国共産党はこの方針に沿って翌8月には「抗日救国のために全国同胞に告げる書(八・一宣言)」を発表し

1936年6月頃までに、広範な階級層を含む抗日人民戦線を完成しています

コミンテルンによる中国の抗日運動指導は五・三〇事件に始まっており、抗日人民戦線は罷業と排日の扇動ではなく対日戦争の準備だったわけです

その後、テロ事件(偽旗作戦)が、次々と勃発しています

1935年11月に起きた中山水兵射殺事件、1936年には8月24日に成都事件、9月3日に北海事件、9月19日に漢口邦人巡査射殺事件、9月23日には上海日本人水兵狙撃事件などの反日テロ事件が起こっています

1936年12月に起きた西安事件によって、日中戦争(支那事変)へとなだれこむわけです

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そこにあったのは、憎悪を煽る事ばかりなのです

第2次近衛内閣では反対し続けた日独伊三国軍事同盟が成立し、「まあ馬鹿げたことだらけで、どうしてこんなことだろうと思うほど馬鹿げている」と嘆いています

最後の言葉は「いったいこの国をどこへもってゆくのや」でした

日本最後の元老、西園寺公望は亡くなり、その翌年、真珠湾攻撃により日本は第二次世界大戦へと突入して行くのです


戦争反対と言って戦争を仕掛けてるのは、いったいどのような人たちなのでしょうか?

日本国憲法で軍隊を持たない日本はアメリカ軍を駐留させています

軍事力を強化し、周辺敵国が攻撃できない状態にすることが国防なのに、それすら許されないのです

アメリカは出て行けとか、集団的自衛権はいやとか、憲法改正反対とか、もう矛盾してますよね

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さて、この西園寺公望さんですが、結婚はしませんでしたが、4人の女性が妻として存在しています

元新橋の芸者・玉八との間にできた新子の婿養子が西園寺八郎氏です

西園寺八郎の息子の西園寺公一がゾルゲ事件で実刑を受けています

公一は中国共産党に傾倒し、文化大革命を支持し、その後逆に文化大革命が非難され始めると今度は批判するという人物

その息子の西園寺一晃は朝日新聞に入社し、これまた文化大革命の肯定派で、実は「孔子学院の院長」さんです

今、問題化している「孔子学院」ですぞw

孔子学院とは、中華人民共和国が海外の大学などの教育機関と提携し、中国語や中国文化の教育及び宣伝、中国との友好関係醸成を目的に設立した公的機関です

反日行動を起こす為の中国のスパイの養成所みたいな組織ですw

これも、世界を支配する組織の暗躍と努力の結実でしょうね

西園寺に来た婿養子の子供は、別の女性(妻)との間に中国スパイの子孫を残したという落ちです

まさしく「いったいこの国をどこへもってゆくのや」ですね


近衛家だって、こんなんですよ

近衞忠煇氏(初名は細川護煇)が日本赤十字社の社長で、国際赤十字赤新月社連盟の会長ですけど

国際赤十字赤新月社連盟とは、各国赤十字社(152か国)、赤新月社(33か国)及び赤盾社の連絡調整を目的とする世界最大の人道主義団体です

十字軍→赤十字ですからイエズス会の支配下ですよね


清華家(せいがけ)という公家の家格である7つの家柄が狙われてたんですよ

最上位の摂家に次ぎ、大臣家の上の序列に位置する。大臣・大将を兼ねて太政大臣になることのできる7家(久我・三条・西園寺・徳大寺・花山院・大炊御門・今出川)

(後に、広幡・醍醐を加えて9家となりました)

豊臣政権時に五大老だった徳川・毛利・小早川・前田・宇喜多・上杉らも清華成を果たしており、清華家と同等の扱い(武家清華家)を受けています


日本のオーナーの手元には、「藤氏長者の宝器」があるらしいですよ

長者の官の渡荘券 - 殿下渡領と呼ばれる摂関家所領の証券

朱器 - 朱漆塗りの食器
台盤 - 食膳用の皿(朱器とともに「朱器台盤」と称される)
権衡 - 革製の秤(「芻斤(まぐさのはかり)」とも称される芻用の秤)

さてさて、誰がお持ちなんでしょうね。。。


世界の支配層とは、自らは手を汚さないで、憎しみを煽り、両方に良い顔をして資金を援助する悪い人たちって事です

ユダヤとか偽ユダヤとか、カバールとかデープステートとか、みんな手羽先にされてるだけなんだって事です

工作員のみなさん、わずかなお金に釣られて、反日工作させられて、あげくに捨て駒にされちゃうんですよ

そんな所にエネルギーを吸い取られて頑張って、骨折り損のくたびれ儲け

ご愁傷さまです。。。

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