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【正しい歴史認識】【占守島の戦い】ロシアから北方領土が返還されても2島しか戻って来ないのは、日露では「大東亜戦争の終結日」が違うから。。。

一般的に終戦記念日は8月15日とされていますが

昭和57年(1982)に、この日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすることが閣議決定された事から

多くの日本人は、終戦の日を、1945年(昭和20年)8月15日だと思っています

1945年8月15日正午(グリニッジ標準時午前3時)から、前日に公布された「大東亜戦争終結ノ詔書」(終戦の詔書などともいう)を昭和天皇が朗読したレコードがラジオ放送され(いわゆる玉音放送)、国民及び陸海軍にポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定が伝えられました

そのため、この日が大東亜戦争の終結日だと思っているわけですが、実際は違います

1945年8月15日時点で、まだ戦争は終わっていなかったのです

世界的には、9月2日なのです

1945年9月2日、昭和天皇は「誓約履行の詔書」を発し、日本政府全権の重光葵外務大臣と大本営(陸海軍)全権の梅津美治郎参謀総長が、降伏文書に調印し、即日発効

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1945年8月15日、大本営は陸海軍に対して「別に命令するまで各々の現任務を続行すべし」と命令し

8月16日に自衛の為の戦闘行動以外の戦闘行動を停止するように命令した

8月18日には、全面的な戦闘行動の停止は、別に指定する日時以降に行うように命令し

8月19日に、第一総軍、第二総軍、航空総軍に対して、8月22日零時以降、全面的に戦闘行動を停止するように命令しました

支那派遣軍を除く南方軍等の外地軍に対しては、8月22日に、8月25日零時以降に全面的な戦闘行動停止を命令が出ましたが

中国大陸や北方戦線では、ソビエト連邦や中華民国との戦闘が暫く続いていました

ソ連軍は北方四島に上陸作戦を展開し、それを阻止するための戦闘が、中央の命令により現地陸軍守備隊によって行われた(占守島の戦い等)のです

1945年9月2日、昭和天皇は「誓約履行の詔書」を発し、日本政府全権の重光葵外務大臣と大本営(陸海軍)全権の梅津美治郎参謀総長が、降伏文書に調印し、即日発効

1951年9月8日には、平和条約であるサンフランシスコ平和条約が調印され

そして、サンフランシスコ平和条約が発効した1952年4月28日をもって、国際法上、正式に日本と連合国との間の「戦争状態」は終結することとなったのです

1945年(昭和20年)8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日
2.1945年(昭和20年)8月15日:玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日
3.1945年(昭和20年)9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日
4.1952年(昭和27年)4月28日:日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効により、国際法上、連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日


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ソ連軍は北方四島に上陸作戦を展開したのは1945年(昭和20年)8月18日~21日です

https://ja.wikipedia.org/wiki/占守島の戦い

占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)は、太平洋戦争終戦後(もしくは終戦準備・戦闘停止 期間中)の1945年(昭和20年)8月18日 - 21日に、千島列島東端の占守島で行われたソ連労農赤軍と大日本帝国陸軍との間の戦闘である。ソ連は8月9日に日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦。ポツダム宣言受諾により太平洋戦争が停戦した後の8月18日未明、ソ連軍は占守島も奇襲攻撃し、ポツダム宣言受諾に伴い武装解除中であった日本軍守備隊と戦闘となった。戦闘は日本軍優勢に推移するものの、軍命により21日に日本軍が降伏して停戦が成立、23日に日本軍は武装解除された。捕虜となった日本兵はその後大勢が法的根拠無く拉致され、シベリアへ抑留された。

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千島列島のほぼ最北端にあり、北東は千島海峡(ロシア名「第1クリル海峡」)を挟んでカムチャツカ半島ロパトカ岬に面する。南には幌筵海峡(ロシア名「第2クリル海峡」)を挟んで幌筵島がある。面積は230平方キロメートルで、海抜200メートルくらいの緩やかな丘陵が続き、沼地と草原である。オホーツク海と太平洋に囲まれ、夏季でも摂氏15度くらいで濃霧が覆い、冬季はマイナス15度の極寒の上に吹雪となる。

1945年2月のヤルタ会談で結ばれた秘密協定では、ソビエト連邦(ソ連)が日本との戦争に参戦すること、その場合は戦後、北緯50度線以南の樺太南部(南樺太)などをソ連に返還し、千島列島については引き渡すことが決められていた。もっとも、8月15日にアメリカのトルーマン大統領が、ソ連のスターリン首相に送った日本軍の降伏受け入れ分担に関する通知では、千島列島についてソ連の分担地域とは記されていなかった[1]。そのため、ソ連側は千島列島及び北海道北東部(釧路 - 留萌を結んだ直線以北)をソ連担当地区とすることを求め、アメリカも17日付の回答で千島列島については同意した


占守島の戦い 昭和20年8月18日

https://www.youtube.com/watch?v=byBN8CtHc0I

ソ連の日本分割占領の野望から、北海道を救った占守島の戦い。
ポツダム宣言を受諾し連合国に降伏した日本に対して、ソ連は公然と侵攻をして来た。 樋口季一郎の決断が、ソ連の日本分割占領を食い止めた。


『ニュース女子』 #199(占守島の戦い・情報)
https://www.youtube.com/watch?v=_NJrp1eZhUc

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ソ連軍は、終戦の玉音放送後に占守島に進行し、ソ連軍は大きな損害を受けながら、日本軍の武装解除によって勝利しているのです

1945年2月のヤルタ会談で結ばれた秘密協定で、アメリカの承認を得ている事も大きいです

アメリカのトルーマン大統領とスターリンの密約によって、日本は罠に落ちてしまったようです

ソ連は、日ソ不可侵条約を破って非道な軍事侵攻をしたわけですが、終戦したのに不法占拠されたという言い分は世界的には認められませんよね


歴史認識として考えれば、対ソ戦が終わった本当の終戦日は、9月2日なのです

旧ソ連から政権を受け継いだロシア連邦共和国議会が、9月2日を「第二次世界大戦が終結した日」と制定する法案を可決したのは、何と2010年の事なのです

第二次世界大戦を連合国として戦った国とアピールすると同時に、対日戦で行なった戦争行為を帳消しとし、北方領土の実効支配を正当化しているのです

ソビエト連邦(現ロシア連邦)では、対日戦勝記念日は9月3日です

これは、降伏文書に調印した1945年9月2日の翌日に、対日戦勝祝賀会が行われた事に因んでいて

ロシア連邦でも、ソビエト連邦の対日戦勝記念日を引き継いだため、近年までは9月3日でした


もし、日露の友好条約が成立したとしても、北方領土は4島が戻る可能性はゼロですよね

日ソ不可侵条約を破るような、約束が果たせないような国を相手にしている事を考慮しても、北方4島が完全に戻る可能性はありません

ロシア側の妥協点が2島の返還というのも、日ソ共同宣言通りで歴史的に見れば仕方のない事なのかも知れません

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Wikipediaに詳しく解説されています

終戦の日 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/終戦の日

終戦の日(しゅうせんのひ)は、一般に1945年(昭和20年)の戦争が終結した日をさす。本項目では各国における第二次世界大戦の終結(終戦)を記念する日について解説する。

概要[編集]

伝統的な戦時国際法において、休戦協定の合意は口頭による同意によれば良く文書の手交を要件としない。このため、休戦が協定された日と休戦協定が外交文書(降伏文書)として固定された日は異なり、実際に各地の戦線で休戦が合意された日もまた異なる。対日戦勝記念日とされる場合、通常は、大日本帝国政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した1945年9月2日を指すことが多い。なお、同じく連合国の中華民国やソビエト連邦、連合国ではない中華人民共和国とロシア連邦の対日戦勝記念日は、その翌日9月3日である。

各国における終戦記念日[編集]

8月15日とする国[編集]

一般に日本では、8月15日が終戦の日とされている。

詳細は「#日本の終戦記念日」を参照

9月2日とする国[編集]

アメリカ合衆国、イギリス、フランス、カナダ、ロシアでは、9月2日を対日勝戦記念日(英語版:Victory over Japan Day)と呼んでいる。当時のアメリカ合衆国大統領トルーマンは、降伏文書に調印した9月2日を「V-J Day」として宣言した。この日は東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリにおいて、日本側を代表して重光葵外相、梅津美治郎参謀総長、連合国を代表して連合国最高司令官のマッカーサー元帥が署名した。
アメリカ:1995年9月2日には、対日戦勝50周年を記念して、記念切手が発行された。ただし、州レベルでは8月14日や8月15日とされることも多い。
カナダ:2005年に、戦勝60周年を記念して、「Victory 2-9-45」と刻印されたメイプルリーフ銀貨を発行した。
フランス:2000年に、終戦記念日(フランス語: Fête de la victoire de 1945)である5月8日のVEデーに、反ファシズム戦争の勝利55周年を記念してイベントが開催された[1]。2000年9月2日に、対日戦勝55周年を記念する式典が、フランス国防省主催で行なわれた[2]。
ロシア:2010年、9月2日を「第二次世界大戦終結記念日」に指定した。この他、独ソ戦の終結日である5月9日を「大祖国戦争終結記念日」(祝日)に指定している。旧ソ連から政権を受け継いだロシア連邦共和国議会が、9月2日を「第二次世界大戦が終結した日」と制定する法案を可決した。第二次世界大戦を連合国として戦った国とアピールすると同時に対日戦で行なった戦争行為を帳消しとし、北方領土の実効支配を正当化できるという計算があったと考えられる[3]

9月3日とする国[編集]
ソビエト連邦(現ロシア連邦)では、対日戦勝記念日は9月3日であった。これは、降伏文書に調印した1945年9月2日の翌日に、対日戦勝祝賀会が行われた事に因んでいる。ロシア連邦でも、ソビエト連邦の対日戦勝記念日を引き継いだため、近年までは9月3日であった。
中華民国(台湾)と中華人民共和国では、旧ソ連と同じく、9月3日を「軍人節」や「抗日戦争勝利の日」としている。2005年9月3日、北京の人民大会堂で抗日戦争勝利60周年記念式典が開かれた。ただし、支那派遣軍岡村寧次司令官が中国国民政府と降伏文書調印した9月9日や、日本の終戦の日である8月15日を対日戦勝記念日とする場合も稀にある。9月2日の翌日を独自の対日戦勝記念日と制定し、全国人民代表者会議で「日本の侵略に対する中国人民の抗戦勝利の日」と決定したのは2014年である。2015年には軍事パレードを含む盛大な戦勝記念日行事を行ない、既成事実化を図っているとされる[3]。

日本の終戦記念日[編集]

日本政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国戦没者追悼式を主催している。一般にも同日は終戦記念日や終戦の日と称され、政治団体・NPO等による平和集会が開かれる。

日本において第二次世界大戦(太平洋戦争(大東亜戦争))が終結したとされる日については諸説あり、主なものは以下のとおりである。
1.1945年(昭和20年)8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日
2.1945年(昭和20年)8月15日:玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日
3.1945年(昭和20年)9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日
4.1952年(昭和27年)4月28日:日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効により、国際法上、連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日

4月28日については、サンフランシスコ平和条約が発効して日本が完全な独立を回復した日であることから、「主権回復の日」や「サンフランシスコ条約発効記念日」とも呼ばれている。連合国軍の占領下にあった1952年(昭和27年)4月27日までの新聞紙上では、9月2日を降伏の日や降伏記念日や敗戦記念日と呼んでいた。

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日本とロシア最後の戦い「占守島の戦い」が、クラウドファンディングでアニメ化されるようです

見たことない!日本とロシアの平和を願うアニメ映画を制作します
https://readyfor.jp/projects/shumushu

日本とロシアの間で行われた最後の戦いを一方的な視点で描くことなく、かつ価値観を押しつけることのない、両国の平和関係につながる作品を!

私たち日本青年会議所は国際社会の発展のため活動しています。その私たちだからこそ、占守島の戦いをこれまでの戦争映画のように一方の視点で描き、価値観を相手に押しつけるようなことをせず、双方の視点と代表するアニメ制作技法で描いていきます。

そして、同じ題材に対して日本人とロシア人それぞれの監督に制作してもらい、最後は調和する姿をアニメ技法を混ぜるといった特徴ある作風で仕上げます。内容については、相原氏の「一九四五占守島の真実少年戦車兵が見た最後の戦場」とロシア側の参考文献を基につくって参ります。

また、占守島の戦いを題材にして幅広い年齢層に知ってもらうとともに、世界中で見てもらうため、Vimeo、YouTubeなどの動画サービスを利用して短時間で全部見ることができる「短編アニメーション映画」を制作します。

■占守島の戦い
占守島の戦いはポツダム宣言受諾により終戦が決定した直後、小さな島のわずか3日間の戦闘であったため他の戦闘に比べあまり話題にはなっていません。ですが降伏はしたものの、北海道北部までの占領を視野に侵攻を開始したソ連軍を食い止めた非常に重要な戦いであり、現ロシアとの最後の戦いであります。

■企画意図
自分たちを脅かす敵兵は、恐ろしく、憎むべき人間です。それは、大切な仲間や愛する家族を大勢殺し、国土を奪っていく、悪の集団です。しかし、敵兵から見た場合どうでしょうか。善悪は逆転し、自分たちが加害者となるのです。

争いをなくし平和な世界を築くためには、自分たちとは違う文化、価値観、考え方を持つ人々が、自分たちと同じように存在していることを知り、それを尊重し、お互いに少しずつゆずり合う必要があるのではないでしょうか。

この作品では、「異なる絵柄」を用い、「異なる視点」から一つの出来事を描くことで、加害者・被害者としてではなく、「異なる立場の当事者たち」が「対等に存在しているのだ」という気づきを鑑賞者に与えることを目指します。

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飯田浩司のOK! Cozy up!の中で高橋洋一氏も言ってますよね

【高橋洋一】 2019年2月13日 飯田浩司のOK! Cozy up!
https://www.youtube.com/watch?v=omDDUY0Ocfs


高橋氏:それに今回の国会に、全然法案が出ていませんからね。スカスカですからね。そうすると何も審議なくて、こういう風なショックが沢山有りそうだとなったら、これは…ロシアの話もそうですよね。4島を2島に変換するのを大きく国民に訴えないとイカンでしょ。

飯田氏:昨日の国会答弁でね、国境線を「引く、引かない」の話は差し控えるだったけど、2島に関しては、否定も肯定もしなかったと。

高橋氏:ハッキリ言って、4島なんて無理なんですよ、国際常識では。そもそも、終戦記念日いつですかって、日本人が8月15日って言ったら、世界でチョッと笑われるんですよ。

私がアメリカに行った時にね、9月2日ですって皆に言われちゃったから。…も、そうです。だから8月15日から9月2日の間はね、日本人は悔しいけれど、実はロシアの言い方に分があるんですよ。勿論、日ソのね、中立をホストした後に、あと1年間は現状維持だというのはあるんですけどね、それでも世界的な話としては、終戦は9月ですからね。それ迄の間の話については、なかなか否定し辛いんですよ。

飯田氏:9月2日、ミズーリ号で正式に調印して、降伏文書にした。

高橋氏:それ迄の間は、日本はかなり分が悪いから、だから、終戦したのに不法占拠されたって結構言い方が難しいんですよ、正直言うと。

飯田氏:なぁ~るほど。

高橋氏:だから4島って話はなかなか出にくいんです、国際では。だから2島ってのがベースになっちゃうんですよね。だから日ソ共同宣言はそうでしょ。何故今迄4島だって言ってたかは、ある種の恫喝されたから。アメリカに言われて、日本とソ連は仲良くしないように言われてたという世界ですから。今度、初めて、自爆が解けたんですよ。

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政府は、日本人に向けて、ちゃんとした歴史を説明してないから駄目なんですよ

国連が、戦勝国連合だって事も説明しないと、理解出来ないんですよ

中国や南北朝鮮との正しい接し方や、共産党やコミンテルンについても情報を出すべきですよ

韓国の歴史がファンタジーだと叩く前に

日本の本当の歴史を国民に示すべきなんじゃないかな。。。

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