朝鮮による日本乗っ取り計画!朝鮮通信使の日記「日東壮遊歌」の中に出て来る「朝鮮王の徳の元に支配したい」

どうしても「徳仁皇太子」を次代の天皇陛下にしたい理由が、朝鮮通信使の日記「日東壮遊歌」に書かれていたようです


『朝鮮通信使の日記「日東壮遊歌」には「この国土と領民を何としても朝鮮王の徳の元に支配したい」という記述が何回も出てくる(この段階でまだ「朝鮮王」と言ってることに注意せよ)』

『そして、先の支那の歴史書には、半島南半の倭人の中には天皇家の一族も含まれており皇位継承権を持つものが存在する、と記述されてる』



日本の皇室を侮辱する朝鮮人の精神を記録したものに、金仁謙の「日東壮遊歌」という物が存在します

日東壮遊歌 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/日東壮遊歌

『日東壮遊歌』(にっとうそうゆうか、イルトンジャンユガ)とは、江戸時代の1763年(宝暦13年)から1764年(明和元年)にかけて来日した第11次朝鮮通信使(目的は徳川家治(在職1760年〜1786年)の将軍襲職祝い)の一員(従事官の書記)として来日した金仁謙(ko:김인겸、キム・インギョム、当時57歳)の著書で旅行記である。

日東壮遊歌からは、当時の朝鮮の知識階級がどのように日本を見ていたかを知ることができる。そこには著者の驚嘆、羨望、嫉妬、憤りなどが率直に描かれている。また外国人の目から見た江戸期の日本社会の記録にもなっている。



ウリナラファンタジーとは、良く出来た言葉だと実感する書き込みです

なるほどと思う書き込みがありました

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http://military38.com/archives/49882467.html

コメント欄

21.名無しさん:2017年04月18日 02:04 ID:f2fX3m.j0▼このコメントに返信
一々「韓」って字を使いたがるから、朝鮮人に警告しとくよ。
まず、この字はお前たちエベ・ンキ血統朝鮮人を指すものではない。元々は支那の五胡十六国時代の梁の歴史書の中に
半島南半分は倭人の居住するところであり、それを「韓」と称する、と書かれてる。
そして、お前たちの先祖は実は江戸時代中頃までこの字を国号として使わなかった。使い始めたのは、朝鮮通信使以降だよ。
なぜだかわかるか?朝鮮通信使の日記「日東壮遊歌」には「この国土と領民を何としても朝鮮王の徳の元に支配したい」という記述が何回も出てくる(この段階でまだ「朝鮮王」と言ってることに注意せよ)。
そして、先の支那の歴史書には、半島南半の倭人の中には天皇家の一族も含まれており皇位継承権を持つものが存在する、と記述されてる。
実はお前たちの祖先はこの記述に目をつけ、あわよくば日本の皇位の継承を主張し得る立場になりたい、とい願望を込めて「韓」という字を国号に使うことにしたんだよ。
つまり、 詐称ないし僭称なんだわ。もう嘘をつくことにかけては大昔から得意中の得意なんだわね。
よって、今後この字を使うことを禁じるよ。正直に
エベ・ンキと名のれよ。それなら聞いてやらんでもない。


23.名無しさん:2017年04月18日 02:21 ID:.LlL7.CV0▼このコメントに返信
※21
まあ一応、併合後に李朝の王室は華族に列せられて、皇族に次ぐ王族として遇されてはいたし、
二代目李王には梨本宮守正王の第一女子である方子様が嫁いでるから皇族と縁はあるけど、
身位はあくまで次点の王族だったし、直系子孫も断絶してる
逆立ちしたって皇位継承権の主張なんざ不可能


29.名無しさん:2017年04月18日 03:07 ID:f2fX3m.j0▼このコメントに返信
※23
華族という範疇ではなく、「朝鮮貴族」というのが法的立場(赤坂プリンス旧館がその屋敷跡)。
日本の乗っ取り工作は江戸時代から始まっていたということ。
併合要求はその一環。現に現在の皇太子妃でほぼ成功仕掛けたが、男子出生が望めずやはり失敗するだろう。
奴らが女性天皇にこだわる理由を考えよう。


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日本の皇室を侮辱する朝鮮人の精神を記録した金仁謙の日東壮遊歌
http://go-home-quickly.seesaa.net/article/390841491.html

(抜粋)

金仁謙のいう「犬のチンポのような輩」とは我が国の皇室を指していたことは、前後の文脈から見て明らかであろう。皇室と日本国に対するこの凄まじい侮蔑感情こそ、朱子派儒教が朝鮮民族に扶植した小中華思想(華夷秩序思想)であり、これが原因となって我が国の征韓論が浮上したのである。

すなわち明治維新直後の1868年1月、我が国の新政府は対馬藩主の宗義達を通じ李氏朝鮮に対し、維新による王政復古を告げ、第十二次朝鮮通信使の来日(1811年、対馬どまり)以後絶えていた朝鮮との修交回復を希望した。

しかし朝鮮は宗氏の書簡に「皇室」「奉勅」「朝廷」の文字があったことを理由に、我が国の修交提議を拒否した。金仁謙のごとく、或いは今日の韓国人が日本の天皇を「日王」と呼ぶごとく、李氏朝鮮は、東夷の蛮族であるはずの日本の君主が「皇」の字を使用することを許せず、またそのことを日本が朝鮮を臣隷とする野望を示すものと誤解したのである。

我が国は朝鮮の誤解を解くための反駁書を送り、また宗氏を介さず直接的に朝鮮に送った国書から「皇室」「奉勅」「朝廷」の文字を削除して修交回復を求めたにもかかわらず、朝鮮は我が国の申し出を拒絶し、釜山にあった我が国の外交事務所(草梁和館)への薪炭食料の供給を拒絶し、門前に侮日告示を掲示するなど、我が国への敵対意識を露骨に示してきたからこそ、我が国の誠意に応えず却って驕慢と侮辱の態度を示した李氏朝鮮を非難する征韓論が浮上したのであった。

戦後の日本人の多くは戦後民主主義洗脳狂育によって錯覚させられているが、明治維新以後の我が国が朝鮮人を侮蔑し始めたから征韓論から紆余曲折を経て日韓併合に至ったのではない、明治維新以前から朝鮮の方が小中華思想という侮日思想を抱いていたのである。そして小中華思想は今日の朝鮮人に色濃く受け継がれており、それは殆ど抜き難く、また度し難い。そうである以上、我が国において嫌韓あるいは反韓の感情が高まってくるのは当然のことである。

従って日本と朝鮮が軋轢を生じさせることなく地球上で平和的に共存共栄していく最良の選択肢は、朝鮮人は朝鮮半島に住んで朝鮮文化を育て、日本人は日本列島に住んで日本文化を育てることである。日本民族と朝鮮民族は互いに成るべく交わらないように努力すべきなのに、我が国の反日左翼勢力は朝鮮人と結託し、日本国内における多文化共生社会の実現と称して、日本人に朝鮮文化を強制し、在日朝鮮人の特権を認めさせようとする。

我が国の左翼勢力は、反皇室、反日、そして息を吐くように平然と嘘をつく点において、朝鮮人と恐ろしく親和的である。社会党の主力を相続した民主党が韓国と結託して在日外国人地方参政権付与法の実現を執拗に画策しする。


自民党内部でも韓国に媚び諂う勢力は、日本国の名誉を踏み躙り、また移民受け入れ政策や、億兆の先人が育んできた我が国の自生的秩序であり時効の憲法たる皇室伝統(悠仁天皇と皇室典範)-皇位の父系相続-の断絶を画策する。両党の反日政策には帰化人の浸透が関与しているのだろうが、いずれの現象も決して偶然ではなく、むしろ歴史的な必然とさえ言えるのである。

我が国はペリー来航の数年後には蒸気船の試作に成功し(薩摩藩と伊予藩)、西洋式軍艦の建造に乗り出した。当時の日本には、黒船の構造を理解する知力と、それをコピーするだけの技術と情熱があったのである。

しかし日東壮遊歌1764年1月27日の条が記すように、朝鮮通信使の書記は日本の水車の巧妙さに感心し、「見習って造りたいくらいだ」といったが、朝鮮は水車を造れなかった。第一次朝鮮通信使が来日した1607年から朝鮮人は日本の水車を見聞し、水車の絵を朝鮮に伝えたのに、李氏朝鮮は1881年に至るも水車を製造できなかった。

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これこそが「恨」であり、それは皇室に向けられていたわけです

皇室を壊すために、マスコミを使ってまで、画策し続けているわけです

関係を修復しようにも、話し合いをしようにも、もうどうする事も出来ない思想であり、そういうメンタルしか持ち合わせていないのが朝鮮人なわけです

歩み寄るなどは、不可能なのです

>最良の選択肢は、朝鮮人は朝鮮半島に住んで朝鮮文化を育て、日本人は日本列島に住んで日本文化を育てることである。
>日本民族と朝鮮民族は互いに成るべく交わらないように努力すべきなのに、我が国の反日左翼勢力は朝鮮人と結託し、
>日本国内における多文化共生社会の実現と称して、日本人に朝鮮文化を強制し、在日朝鮮人の特権を認めさせようとする

Kの法則と呼ばれる原点はここですね

非韓3原則は、本当に正しい

朝鮮人の野望を阻止しなければなりません

日本の皇室は、守られなければなりません


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